鉄鉱石のはなしー日本との友情の歴史

鉄鉱石のはなしー日本との友情の歴史

2016年に、リオ ティントは日本のビジネスパートナーである、製鉄会社、資機材サプライヤー、商社、船会社の皆さまと共に50周年を祝う記念式典を開催しました。西豪州のマウント・トム・プライス鉱山で初めて採掘された鉄鉱石を積んだ「邦雲丸」が北九州の八幡製鉄所へ向けて出航したのが1966年です。

1960年にオーストラリア政府が鉄鉱石輸出を解禁し、リオ ティントは、日本の製鉄各社と16年間で6,550万トンという、当時のオーストラリア企業として過去最大の画期的な長期引取契約を締結しました。

その計画は、20世紀後半における日本の高度経済成長期をオーストラリアが資源で支えると共に、オーストラリアの鉱山開発と鉱石の出荷に必要なインフラ設備の建設に日本企業が支援するという、両国による相互補完の礎になるものでした。

(左)1960年代後半の世界最大の鉄鉱石輸送貨車 (中央)開山記念セレモニー ダンピア港にて
(右)Parker Pointの貨車転倒装置の建設 1965-66

東京で開催された50周年記念式典で、当時のリオティントのCEOは次のように述べました。

「日本とリオ ティントの間で実現した最初の鉄鉱石の船積みという素晴らしい出来事を、今夜皆さんと祝いたいと思います。しかし私たちの“旅”は、実はその何年も前から始まっていました。全ての鍵は、日本の製鉄会社が、その時点ではまだ、鉱山の開発、鉄道の敷設、そして数百キロも離れた港の建設がなされていなかったにもかかわらず、鉄鉱石購入の長期契約締結を約束してくださったことにありました。 日本の皆さんのご協力がなければ、私たちが今日のようにワールドクラスの鉄鉱石ビジネスを行うことはできなかったと言っても過言ではありません。私たちは日本からのご支援を決して忘れません」

また、2017年4月にリオ ティントは、鉄鉱石の初出荷から50周年を迎えてからわずか7カ月後、ピルバラ地区の鉱山からの鉄鉱石の総出荷量が、50億トンという歴史的なマイルストーンにを達しました。その区切りの船積が、初めての顧客であり、重要且つ長期的なパートナーである日本向けとなったことは、まさにそれにふさわしいことでした。

リオ ティントは、50年以上前に始まった日本との関係をさらに強固なものとするよう全力を注いでおり、これからも50年以上にわたって共に歩み続けることを楽しみにしています。